バンブーのヒット後、グッチのアイコンとなるウェブ(リボン)を発表したりなど、今のグッチの土台となるデザインも発表された時期でもある戦後はとても興味深い時代です。
そんな戦後のグッチを今日は調べてみました。
グッチのウェブ
グッチといえばグリーン/レッド/グリーンのウェブがアイコンとなっています。
コレが誕生したのも実は戦後のこの時期です。このウェブがあることで、ひと目でグッチであるということが分かりますよね。
1950年代に入り、ストライプ・ウエビングや、メタルビット付きモカシンシューズ等を発売しこれらも大ヒットとなりました。
そして、1953年にグッチオ・グッチ氏は亡くなります。享年71歳でした。
ハリウッドの代名詞になったグッチ
グッチは《グッチニューヨーク店》をオープンすることにより、世界的な高級ブランドとして知られるようになります。
そして1960年代には、ロンドン・パリ・パームビーチに新規店舗をオープンし、主要都市で成功していきます。
この頃になるとグッチは、オードリー・ヘップバーン(ローマの休日)やグレース・ケリー(アメリカの大女優1956年にモナコのレーニエ皇太子との結婚)やピーター・セラーズ(ピンクパンサーシリーズ)などのセレブに愛用されグッチはシックなハリウッドスタイルの代名詞になりました。
グレース・ケリー フローラ
グレース・ケリーはハリウッド女優として人気絶頂の中引退し、モナコ公国のレーニエ皇太子と結婚ました。
1966年に夫であるレーニエ大公とともに、ミラノのグッチショップを訪れた時、グリーンのバンブーバッグを購入しました。
その際、ロドルフォ・グッチは特別な贈り物をしたいと考えて、グレース大公妃に何かひとつお選びになるように提案しました。
グレース・ケリー大公妃はスカーフを希望されたため、ただちに有名なイラストレーターであるヴィットリオ・アッコルネロに連絡し、最高に美しいフラワーモチーフのスカーフをデザインしてほしいと頼んだのです。
その翌日にアッコルネロが持参したのがフローラプリントのデッサンでした。
グレース大公妃はそのフローラプリントを気に入り、娘であるモナコ公女カロリーヌも10代のときにスカーフプリントのブラウスを着ていました。
[voice icon=”http://kawanishikaban.com/wp/wp-content/uploads/2017/01/kao_sl.jpg” name=”カワニシカバン” type=”l”]最高に美しいフラワーモチーフのデザインを依頼する方もする方ですけど、される方もさすがですよね。しかも翌日に仕上げるとは。。。さすがというか、すごいというか。。。と思いました。[/voice]
フローラルプリントは四季折々の43種類の花が登場し37色もの色数でプリントされているんです。
デザインを抽象化したり、モダンなデザインも取り入れ、現代に至るまで長い間たくさんの女性たちに愛され続けているんです。
まとめ
1953年になくなったグッチオ・グッチ氏ですが彼の作ったデザインはグッチの礎になっていると感じました。
やはりデザイン性も高くあっという間に世界に認められていたんだろうなと感じました。
グレースケリーのスカーフの話にしても翌日にデザインを完成させるのはさすがだなーとおもいました。