戦後、グッチは、アメリカ進出そして世界進出の成功を収めます。
この成功については前回の記事でも紹介しました。
バンブーのヒット後、グッチのアイコンとなるウェブ(リボン)を発表したりなど、今のグッチの土台となるデザインも発表された時期でもある戦後はとても興味深い時代です。そんな戦後のグッチを今日は…
さて、前回紹介したのは、発表した商品の部分でしたが、内部的にはどうなっていたのでしょうか?
今日はグッチの成長の裏側について紹介します。
グッチ戦後の大幅に成長したの理由
戦後、グッチは、同族経営の会社で、 グッチオ氏には、息子が5人いましたが、家業を継いだのは三男アルドと五男ルドルフォの2人です。
グッチオ氏は、二人の息子をライバルとして競争させ、グッチの基礎を確立しました。
そんな中、兄のアルド氏はグッチの発展に非常に貢献しました。父グッチオ氏の反対を押し切り拡大路線を推し進めて、海外、中でもアメリカでの成功がなければ今日のグッチは無かったのではないかと言えるほどです。
そしてグッチのロゴであるGを2つ型どったモノグラムのマークを考え出し、世に広め、ブランドとしての付加価値を付けたのも兄アルド氏だったのです。
ちなみにグッチのモノグラムである2つのGを型どったマークは創始者で兄アルド氏の父であるグッチオ氏のイニシャルから取ったものです。
一方弟のルドルフォ氏は元々は家業を継ぐのに反発し、映画俳優を目指していました。
イタリア映画の名画「線路」に出演するなどし、一時的には注目されますが、最後には挫折し、無一文まで落ちぶれてしまったのです。
そこで父グッチオ氏は弟ルドルフォ氏に救いの手を差し伸べ、結局は家業を手伝う事になりました。
映画界に顔の利くルドルフォ氏はソフィア・ローレンやオードリー・ヘップバーンにGUCCIの顧客になってもらい、グッチの名声を高めることに成功します。
[voice icon=”http://kawanishikaban.com/wp/wp-content/uploads/2017/01/kao_sl.jpg” name=”カワニシカバン” type=”l”]ここまで見るとものすごい兄弟で、そして器の大きい父。といった感じでとても良い家庭の様に見えますね。ですが実際は違っていたのでしょうか[/voice]
ルドルフォ氏とアルド氏の間の確執
さて、強力な2人の兄弟の活躍で順調に業績を伸ばしていたグッチですが、実績は弟ルドルフォ氏は兄アルド氏にはかないませんでした。
実績だけをみるとアメリカ進出を成功させた、兄アルド氏の方がよほど会社に貢献していたのです。
しかし父グッチオ氏は、弟のルドルフォ氏を愛していたのです。
実績、貢献度だけを見ると、グッチの株の大部分は兄アルド氏がそのほとんどを引き継ぐべきだったのですが、兄アルド、と弟ルドルフォ氏に半分づつ平等に配られたのです。
当然2人の兄弟には確執ができました。
しかし、それでも微妙なバランスではありますが、関係を維持しました。
しかし弟ルドルフォ氏が、亡くなり、彼の1人息子であるマウリチオ氏がグッチ株の50%を引き継いだあたりから段々話が変わってきます。
マウリチオ氏はおとなしい御曹司でしたが、彼はエリザベス・テイラーにそっくりな、パトリツィア氏と結婚します。
パトリツィア氏は外交的で、グッチの社長夫人の座を狙っていたのです。
まとめ
戦後グッチが大成功を収めてたのはこの2人の兄弟の力があってこそだったのではないでしょうか。
ただ、もっと仲良くできていたら、もっといい人間関係を保てていれば、グッチ家の崩壊はなかったのかもしれません。
今回の記事を書くに当たって、正直カバンとはあまり関係無いし、本当にぐちゃぐちゃしているので、紹介するか悩んだのですが、まあせっかくグッチを調べているので、それも含めてグッチではないか、と思い紹介しました。
続きは、次回更新で書きますね。