グッチオ・グッチ氏が戦争を経てグッチを立ち上げるまで

グッチを紹介します。
前回のブログで、グッチの創業時の記事を書く予定だったのですが、いざ調べてみると、思いのほか「逸話」で盛り上がってしまったので、グッチオ・グッチ氏の逸話の回になってしまいましたが、今回こそはグッチの創業の記事を書きます(`・ω・´)シャキーン

ちなみに逸話の回はこち↓

グッチオ・グッチ高級ブランドグッチの創業者で逸話の多い男 | バッグの縫製工場|カワニシカバン
グッチGucci有名ブランドではあるのですが、実は僕あまりよくしらないブランドなんですよね。
そこで、今日はグッチについて…

フィレンツェで生まれてからロンドンへ

1920px Buckingham Palace London April 2009

グッチオ・グッチ氏がグッチを立ち上げるまでは実はいろんな経験をしているんです。

グッチ氏は1881年麦藁帽子の製造向上の息子として生まれました。
「ガブリエロ」というなの小さの帽子工場で父は名前はその名の通りガブリエロ・グッチです。

グッチ氏はロンドンで一旗上げる事を決意し、ロンドンへ向かうが、辿りつくまでに蒸気船の機関助手として働きながら向かいました。ロンドンへたどり着いたのは1898年だったそうですね。

ロンドンでは最下級の労働者として働くことにはなったが、働いていた場所はサヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)で最高級のホテルだったそうです。

ロンドンで学んだこと

Savoy

サヴォイ・ホテルでは皿洗いから、1階のウェイターにまで出世しました。
それでも低賃金だったようですが、王侯貴族御用達の最高級ホテルだったので、チップには不自由しなかったようですね。

しかも、王侯貴族たちの立ち振舞を間近で見ることができたので、彼らの持ち物や彼らの考え方などを学んだそうです。
さらにグッチ氏が学んだことは

「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」

と、言われています。

[voice icon=”http://kawanishikaban.com/wp/wp-content/uploads/2017/01/kao_sl.jpg” name=”カワニシカバン” type=”l”]確かにそうかもしれませんね。
僕は製造現場にいるので、実際に製造するのにどれくらいの原価が必要なのかは分かりますから…まあ思うこともありますよね[/voice]

そんなこんなで、多くの事を学び、グッチ氏は1901年フィレンツェに帰りました。

第一次世界大戦とグッチの立ち上げ

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帰国後は、商店で働いていたが、第一次世界大戦の開戦と共に徴兵されました。
そして大戦後の1919年またフィレンツェにもどり、革の取扱を習得しました。

そして1921年グッチ氏が40歳の時に、革製品を取り扱う会社を設立し、1922年フィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開き、1923年にGUCCIと店名を掲げたそうです。

ここまでグッチ氏を調べて思ったこととまとめ

グッチ氏は戦争を戦場で体験しているんですね。
第一次世界大戦が始まったのは1914年で大体4年間はくらいは戦場にいたのではないかと予想します。
ということは、グッチ氏は30代前半を戦場で過ごしたことになりますね。

この時期はすごくいろんなことを考える時期だと思うんです。
その時期を戦場で過ごし、いろんな経験をしたからこそ、1919年にフィレンツェに帰り、たった2年で自分の会社を設立したのかもしれませんね。

まあ僕の予想ですけど。。。

あと、グッチ氏の発言とか発想とかを見ていると、非常にひねくれた性格だったのでは?と思ってしまいます。
でも、とても魅力的だったんじゃないかなーと。。。笑

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