さてグッチ崩壊三部作ついに最終回です。
実の息子パオロに告発されたアルド、そして、マウリチオとパトリツィアそして、グッチ家の人々…一体どうなってしまうのでしょう。
もうカバンとは全然関係ありませんがどうぞ!
この記事は3部作となっています。
前回、前々回の記事はこちらから
第一話
戦後、グッチは、アメリカ進出そして世界進出の成功を収めます。この成功については前回の記事でも紹介しました。さて、前回紹介したのは、発表した商品の部分でしたが、内部的にはどうなっていたのでしょうか?今日はグッチの成長の…
第二話
現在、じつはグッチの経営権は完全に創始者一族から離れています。
その原因には数々のスキャンダルやグッチ一族内での争いがあったのです。
今回もカバンには関係ないのですが…
アルド氏への判決
前回の話で、アルド氏は息子のパオロ氏に告発されたのですが、判決は罰金3万ドルと1年の禁固刑で、しかも執行猶予はつきませんでした。
81歳でアルド氏は投獄されたのです。
グッチの低迷とアルド氏の死
グッチは数々のスキャンダルによるイメージダウンと管財人の素人経営で、GUCCIの業績は、不振を極めます。
1988年にはマウリチオ氏が会長に復帰をしますが、マウリチオ氏に経営を任せるくらいならと、アルド氏の息子たちパオロ氏を含む3人全員が株を手放します。
売却先は、アラブ資本の投資銀行「インベストコープ」でした。
そして1990年、「パオロをけっして一族の墓に入れてはいけない」と遺言を残し、アルド氏が失意のうちに亡くなったのです。
そしてグッチ家はグッチと関係なくなった
マウリチオ氏は妻パトリツィアが自分と結婚したのは自分への愛というより、財産やグッチそのものが目当てであったことにようやく気づき、パトリツィアに嫌気がさして別居、愛を求めて別の女性と暮らすようになりました。
そして、経営の才があるとは言いがたいマウチオが経営した会社の売上は年々低下し、ついに1993年9月、経営に嫌気を感じたマウリチオは、全ての株をアラブ資本に売却しました。
売却金額は、1億6000万ドルから1億7000万ドルと言われています。
こうして、醜い血族間の争いの末、全てのグッチ家の人間は、GUCCIと関わりを持たなくなりました。
グッチ家最後のスキャンダル
1995年3月27日、ミラノの朝、ついに最後のスキャンダルが起こります。
多くの目撃者のいる中、4発の銃声が轟き、元グッチ会長マウリチオが射殺されます。
現場からは、40代の男が逃走しました。
それから2年後の1997年1月31日未明、ついに捜査員が、マウリチオ暗殺の犯人が住むミラノの高級マンションに踏み込みます。
それは元グッチ会長夫人パトリツィア逮捕の瞬間でした。
碧色の瞳はうつろで、足取りは重く、手にはGUCCIのバック。
事件の頃、パトリチアは、夫マウリチオと別居中でした。
彼から渡された生活費は、毎月1億リラ(約750万円)でした。 しかし、贅沢癖が身についたパトリチアは、その程度の生活費では満足することができませんでした。
離婚されないうちに、GUCCI株の売却代金を相続しなければと考えたのかもしれません。
1998年11月、ミラノ地方裁判所は、50歳の限りなき欲望を持つ女パトリツィアに、判決を言い渡します。
禁固29年・・・彼女の残りの人生の大部分は、鉄格子の牢獄です。
気の強いパトリツィアは、二人の娘との面会を拒否していたそうです。
[voice icon=”http://kawanishikaban.com/wp/wp-content/uploads/2017/01/kao_sl.jpg” name=”カワニシカバン” type=”l”]若い頃のパトリツィアさんめちゃくちゃ美人ですね( •̀ㅁ•́;)[/voice]
まとめ
パトリツィアさんは確か、最近出所されたと聞きました。
働きたくないから出所したくないといっていたとかいなかったとか。。。
今回まとめてみて、思ったことは、カバンのこと書きたい。。。以上です。笑