ルイ・ヴィトンといえばモノグラム。そういったイメージのある方はたくさんいらっしゃると思います。実際売上の6割はモノグラムだといわれています。
そんなモノグラム実は、日本の家紋の文化に触発され作られたというのはかなり一般的な話で、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、モノグラムが発売されたのは1896年日本は明治29年です。
さて、一体何がきっかけで日本の文化にフランスのルイ・ヴィトン社は触れたのでしょう。
今日はそのあたり背景を中心にルイヴィトンのモノグラムを紹介します。
そもそもモノグラムとは
そもそもモノグラムって何なんでしょう??
ちょっとここはウィキペディア先生に聞いて見ましょう
モノグラム (monogram) とは、2つ(まれに3つ以上)の文字や書記素を組み合わせた記号(単に並べただけのものとは区別される。外枠があるならそれに倣って変形していなければならない)。個人や団体の頭文字で作られ、ロゴタイプとして使われることが多い。
ということです。
はいはい。たしかに、LとVが重なってひとつのデザインされていますね。
ということは、
阪神タイガースのロゴや読売ジャイアンツのロゴ
もモノグラムになるということなんですね。
僕は
こんな柄がモノグラムという名前だと思っていたのですが実際は違っていてLとVのマークがモノグラムというのですね!
けれど、もしかしたらルイヴィトンとしては、柄をモノグラムと定義しているのかもしれません。
その答えまでは分かりませんでした。
ジャポネズリー、ジャポニズムとモノグラム
今、フランスでは、日本のアニメが人気ですよね。
最近の日本の文化はフランスでも認められてきたんだなー。なんて僕は思っていたのですが、実は、フランスでは比較的早く日本の文化は認められていて、大体1856年頃がから始まっていると言われています。
1856年というと、ルイ・ビトン社が誕生して2年が経った頃です。
この頃はジャポネズリーと言われ、一部の人の間だけで盛り上がっていたようですが、1870年頃になるとジャポニズムと呼ばれ、万国博覧会の開催や、交通の便の普及により、その影響は多岐に広が入り、ゴッホなどの有名画家にも及んだようです。
このあたりのジャポニズムとかは面白いのでまた記事にします。
さて、話は戻って、モノグラムなのですが、ダミエが誕生してもやはり偽物、コピー商品がなくならない事を危惧したルイヴィトン社は1896年に当時非常に斬新なデザインのモノグラム・ラインを発表しました。
そうです。モノグラムの誕生です。
このモノグラムは当時、万国博覧会で目にした日本の家紋に触発され、作られたと言われています。
当時、モノグラムは複雑なラインを職人さんが一点一点描き上げる手法を使っていたため、同じものを作るのは困難で、コピー商品の製造を激減させることに成功しました。
その後、モノグラムははパリでものすごい人気となり、大ベストセラーになりました。
これのできごとは、アトリエにとって更なる飛躍のきっかけとなったのです。
[voice icon=”http://kawanishikaban.com/wp/wp-content/uploads/2017/01/kao_sl.jpg” name=”カワニシカバン” type=”l”]当時フランスはジャポニスムの影響を強く受けていたそうです。その中でなら、日本の家紋を見て触発されるのも何となくわかりますよね。
あと、やはりそういうのを聞くと少し誇らしく感じます。[/voice]
まとめ
当時の影響の広がりは、万国博覧会の開催と、交通の便の普及にあったようですね。
現在は、インターネットの広がりによる情報の行き来でグローバル化をしましたが、当時は、鉄道、船により人の行き来でグローバル化したのではないかと思いました。
グローバル化することにより文化が広がるというのは素晴らしいことですね。
ルイ・ヴィトンに関する記事をまとめたページを作りました!
ルイ・ヴィトンに関する記事が溜まってきたので、もくじを作りました。
ルイ・ヴィトンのルーツはバッグや財布じゃなくてトランクです!この章ではルイ・ヴィトン氏が生まれ…
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ダミエと言えばルイ・ヴィトン好きならみんな知ってる市松模様の生地ですよね。
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ルイ・ヴィトンと言えばものすごい知名度の誰でも知ってるブランドですよね。
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